人は何も知らず、この世に生を受けます。何時、何処に生まれるか、全ては偶然で、国も家庭も選ぶことも出来ず、与えられた環境で生活を始めなければなりません。私は、日本の普通の家庭に生まれ成長することができて、平穏な生活を送る幸運に恵まれています。しかし、明治以降の日本を振り 返ってみると、平穏無事な期間は長続きせず、戦争が繰り返し起きています。更に、世界を見れば、多くの人が飢餓に苦しみ、紛争に巻き込まれ命の危険に晒されています。
2500 年前に仏教の開祖ブッダは、インドの小国の王子という恵まれた境遇に生まれ、裕福な生活をしています。しかし、インドの社会も歴史的・社会的、文化的にも大きな変動の時代であり、その中で、人間としての生きる意味(生まれ、老いて、病になり、死を迎える人生)を問うために 29 歳で、 地位や妻子を捨て、一人の修行僧として 6 年の苦行生活をしています。宇宙の理法を追求し、見いだした真理を、その後の 45 年間に渡り行脚をしながら仏弟子や庶民に説法しています。 この間の詳細について興味のある方は、東方学院の理事長である前田専学著「ブッダ:その生涯と思 想」(1)をぜひ読んでみてください。仏教の始まりから 80 年の生涯で見いだした宇宙の理法を解説し ています。
仏教との出会い
現代の日本で仏教を学びたいと思っても、私達の前には大乗仏教の多くの宗派(天台宗、臨済宗、 曹洞宗、日蓮宗、浄土宗、浄土真宗、真言宗、時宗など 13 宗派)があり、どの教えを選べばよいのか 迷うのではないかと思います。仏教を学ぶ切欠は、人それぞれの縁と出会いがありますので、私自身 の経験からどのような経緯で、仏教の学びに入ったかを述べたいと思います。 20 歳代のとき武道として日本少林寺拳法を習う機会があり、そこで出会った言葉を、その後の社会 生活の中で座右の銘として心に刻みました。
それは「己こそ己の寄る辺、己をおきて誰に寄る辺ぞ、 良く整えし寄る辺こそまこと得がたき寄る辺なり」です。これは法句経(ダンマパダ)の160番に ある句で、中村元訳(2)では「自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る」と分かりやすく訳されています。更に、他 人と接するときの心の持ち方として、心に刻んだもう一つの言葉は「半ば自己の幸せを、半ばは他人 の幸せを」です。この言葉は日本少林寺拳法の創始者である宗道臣が色紙にしたためたものです。こ の時点ではまだ仏教と思っていません。
ブッダの言葉が支えになる
ブッダの言葉がどのように会社活動で役に立ったか紹介します。就職した会社では、重電機事業部 の研究開発部門に配属され、1964 年当時は、アメリカの技術導入から脱皮し、独自技術開発を精力的 に進めていた時であり、新製品が次々と開発されていました。それに伴い、電気絶縁技術関係では、 新たな絶縁材料とその評価技術も必要となりました。設計の基礎となる材料の基礎データ収集と評価 技術や製造技術の開発がなされ、活気のある時代でした。しかし、新製品は、必ず従来技術の延長だ けでなく、新たな技術が盛り込まれるので、気づかない技術上の問題点が潜み、製品事故に繋がることがまれにありました。 そのような時、設計者と客先に出かけ、事故状況の調査と担当者との打ち合わせに臨んでいます。 その後、原因究明と改善した対策案を先方に説明し、了解を得ることになります。しかし、時には、 先方から感情的な言葉が発せられることもありますが、冷静に相手の立場を考えて、落ち着いた対応 ができることを学びました。 また、開発は予定通り進みません、山あり谷ありで不測のトラブルも起きます。そのような時に は、技術的な確信を持って、関係者の総力が得られるよう、心が動揺することなく、臨むことが目標達成の道であることを知りました。
仏教の学びを始める
本格的に仏教の勉強を始めたのは、60 歳の定年後、両親の世話をしながら自由な時間が出来たこと で、縁のあった臨済宗の龍源寺で坐禅と法話を聞くようになり、禅宗から仏教を学ぶことになりまし た。松原哲明住職の指導の下で、臨済宗の祖である臨済禅師の語録である臨済録や般若心経などを学 び、仏教への素地ができてきました。そのころに母の認知症も進み、人格が崩れて行くのを見ている と、生きることの意味は何かとの疑問が湧き、そのことへの関心が強まりました。 学びの方向が決まると「生きるとは何か」に焦点を合わせて関係のある書籍や、仏教書以外の自然 科学の本にも関心が及んで、読んで見ると仏教の教えと関連する科学的な事例が多くあることに気が つきました。哲明住職亡き後に、仲間と輪読会を始めて、そこでの参考資料には科学的な事実を入れて仏教を語ることにしました。2011 年から始めた輪読会はコロナ過で終了しましたが、現在も月一度 の資料作成は継続し元の仲間に資料を送付しています。 これまでの学びで転機となったのは、この世に存在するあらゆるものは「無常」の存在である、と いうことを体得できたことです。仏教と科学的な事実との間には深い関連があり、その理解が深まったと感じています。仏教には学ぶべき事項は沢山ありますが、限られた時間の中では、寄り道する暇 はありません。どのような教えが根本になるか見極めて深めることで、人格向上に資することが大切 であると思っています。 最近、しみじみと思うことは、素晴らしい教えを知っていても、実行しないと仏教を学んだことに はならないと言うことです。深く、広く多くの知識が増えたからと言っても、実行しようと意識を持 たないと行動に結び付かないと言えます。知識が増えても、単なる研究者であり、仏教の教えが空念 仏になってしまいます。
仏教の教えが空念仏になった事例
新人の仏教研究者が、その道の大先生(東大教授)の論説のある部分を批判した論文を出版準備し ていると知ると、版元に出版しないようにと妨害したことが、昨年から話題となっていました。新人 が最近になって出版した新たな本(2)のあとがきに経緯が書かれていましたので紹介します。 この新人に、教授の恩師からも学会中に1対1で話がしたいと呼び出され、大学教職に就きたけれ ば出版を諦めろと警告され、この席の途中、腹を合わせたように教授が現れ、二人でさまざまな圧力をかけてきたとのことです。その教授とは古代インド仏教と上座部仏教の専門家で東京大学東洋文化 研究所教授という立場にある人です。まさに、ブッダの原始仏教の指導的立場にあり、初期仏教の思 想をたどる本も出版している権威ある人です。なんとも、心寂しいことでしょう。心すべき他山の石 となります。
ブッダの言葉の再認識
ブッダの言葉がある「法句経」(3)は最古層の原始仏教の経典です。そこには人間はどのように生きるべきかの道が説かれています。中村元訳「真理のことば」に教えの本質が述べられていることに気づきました。幾つかの事例を紹介します。
道の章:
・「一切の形成されたものは無常である」(諸行無常)と明らかな知恵をもって観(み)るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(277)
・「一切の事物は我(われ)ならざるものである」(諸法無我)と明らかな知恵をもって観るときに、人とは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(279)
・「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな知恵をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である。(278)
大乗仏教でも有名な、諸行無常、諸法無我、一切皆苦は真理を示す三つ言葉(三法印)と呼ばれて います。その他に法句経には珠玉の言葉が 423 句も収録されています。ほかの章からも句を紹介します。
暴力の章:
・すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべ て、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ。(150)
世の中の章:
・世の中は泡沫のごとしとみよ。世の中はかげろうのごとしと見よ。世の中をこのように観ずる人 は、死王もかれを見ることがない。(170)
怒りの章:
・怒らないことによって怒りにうち勝て。善いことによって悪いことにうち勝て。わかち合うことに よって物惜しみにうち勝て。真実によって虚言の人にうち勝て。(223)
対句の章:
・実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。(5)
これらの句は、ブッダが修行している仏弟子に語った言葉を、短い句として100年以上に渡って 語り継がれてきた珠玉の教えです。どれも人間として心に刻むべき真理であり、理解して実践すると、人々の幸福に繋がる教えであると思います。
特に、対句の章の第5句は、鎌倉の大仏殿にあるジャヤワルダナ元スリランカ大統領の顕彰碑に刻まれ、我々日本人の大恩人の言葉でもあります。敗戦後の日本の復興をどうするかサンフランシスコ対日講和会議の席上で、日本に対する寛容と愛情を説き、スリランカは日本への賠償請求を放棄すると宣言されています。そのうえ、一部の国の日本分割案に強く反対したことで、現在の日本独立があるのです。この演説の中で第5句を引用しています。ジャヤワルダナ師は、法句経の沢山の句の中から、第五句を心に深く刻んでいたから肝心なところ で活用できたのです。顕彰碑に関しては「日本を救ったブッダの言葉」(4)として2020年に冊子を作成しました。その後、2022年に友人の関谷氏(弁護士)が顕彰碑を紹介す YouTube 動画を 作成されたので冊子裏面に QR コードで添付しました。添付したのは関谷氏が作成した葉書です。壇上で演説しているジャヤワルダナ師に肉声も聞くことができます。
文献
(1)前田専学「ブッダ その生涯と 思想」(春秋社、2012)
(2)清水俊史「ブッダという男―初 期仏典を読み解く」(ちくま新書、 2023)
(3)中村元訳「ブッダの真理のこと ば、感興のことば」(岩波文庫、 1978)
(4)後藤一敏「日本を救ったブッダ の言葉」(サンガ、2020)