激変する世界の流れ
アメリカにトランプ新大統領が誕生し、早速、不法移民の国外追放・軍隊配備や環境規制の国際条約から撤退などの大統領令に署名しています。ここ数年、ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルとハマスの戦闘が周辺諸国に拡大し、多くの民衆が戦闘に巻き込まれ犠牲になっています。一方、ヨーロッパの諸国も移民・難民問題やウクライナへの支援疲れで政治が不安定化しています。中国経済の軍備増強と経済衰退、韓国の政治混乱、北朝鮮の核開発など、アジアの国々も問題が噴出し、将来に不安を抱えています。膝元のわが国では、世界情勢をよそ目に、自民党政治資金の不正処理問題で国会が空転し、そのゴタゴタから石破首相が誕生しました。前言を翻して、拙速の衆議院総選挙、結果は与党の半数割れで不安定な政局となっています。
このように世界の政治経済に大きな不安要因が発生し、先々の情勢は益々複雑になっています。激変する世界情勢ですが、東南アジアで仏教の教えが80年前の混乱した戦時下でも息づいている事例があります。
真理を語る補佐役の青年
第二次世界大戦終末の1943年ビルマ戦線に二等兵として招集され、そこで終戦を迎えて英国軍捕虜となった会田雄次氏の実録です。歴史学者として日本文化論を多く著述している彼は、捕虜となって2年近くラングーンの捕虜収容所に拘留され、強制労働させられた体験記録を著作「アーロン収容所」(中公新書、1973年)に書き残しています。
この事例は、戦争末期の東南アジア諸国に仏教本来の教えが息づいていることを教えてくれます。
当時、日本軍はビルマ(現在:ミャンマー)人を国民兵として各部隊に補佐役として配属しており、その一人が兵補モングイでした。多くのビルマ人は死亡したり、逃げたりしましたが、モングイという若い青年は、日本敗残部隊に最後まで忠実に使えてくれたとのことです。日本軍と行動を共にしてくれたモングイを自由にしてやるために、ささやかな小宴をひらき、彼に別れた方がよいと話したときに、彼はたどたどしい日本語とビルマ語の混じり合った言葉で語った大意はこうであると記しています。
・マスターたちは負けた。残念だろうが、これが運命なのだ。気を落とすことはない。昔は、ビルマは強国だった。そこへイングリが来て、ビルマ人をみんな追いはらい、長い間いばっていた。それを日本人がイラワジ河へたたき落としてしまった。しかし、その日本を今度はまたイングルが追い払ったのだ。すべては流転する。このイングルもやがては消えるか、イラワジ河に落ちてしまうだろう。ごらんなさい、このシッタン河を、日本軍が勝っても英軍が勝っても、同じように変わらず、ゆっくりと渦を巻いて流れている。人間のやることはどんなものでも、時と運命によって幻のように消え崩れてしまう。自然は変わらない。イラワジ河はもっともっと大きい。この河はすべての人間の栄枯盛衰をのみつくして永遠に流れてゆくでしょう。ビルマも昔のままの姿で残ります。それが仏陀の智慧なのです。私たちはこの仏陀とともに生きているのです。
この言葉を聞いて著者の会田氏や日本兵は大きな感動を受けています。次に著者の感動が述べられています。
・私たちは茫然とした。まことに申しわけないが、私たちはこのよく働くビルマ人を可愛がっていたというものの、何もわからぬ上等な家畜のようにしか考えていなかった。しかし、この愚直そのもののような青年の口から今もれているのは、もっとも適切な瞬間における諸行無常と諦観の教えなのである。
何を感心したんだ、きわめてありきたりの意見ではないかと読者は考えられるかもしれない。それはそうなのだが、この時期に適切と私が書いたのは、それを聞いたときの感動が、いまさらのように呼び起こされるからなのである。・・・生命の助かる見込みが出ると、今度は奇妙なことに、生命だけ助かっても、何もなければいったいどうなるんだろうという虚無感と不安が大きくのしかかってくる。このようなとき同じような絶望を持っているはずのモングイのこの教えは、まことに私たちを元気づけるものとして作用した。
現在の日本では、次々と襲来する大災害があります。その時、生命の危機に瀕して幸い命だけは助かったとしても、その先の虚無感にさいなまれることを多くの方が経験していると思われます。そのような時、何を支えに心を保つか、上記の言葉の中に、仏教からの教えがそこにあります。
会田氏が感動して、その思いを15年以上たっても、鮮明に記憶していることは、生きた仏教の教えがあり、人間が生きることの本質が語られているからだと思います。
ミャンマー仏教の現状
2015年9月20日から27日までミャンマーの上座仏教(テーラワーダ仏教)の現状を体験するための仏跡巡礼と瞑想体験をしてきました。モングイが生きた時代から72年後の旅行で目にした上座仏教のミャンマー僧侶は、戒律を守り、瞑想と経典の学びに集中していて、その姿は初期の仏教の修行はかくのごとくかと思わせるようでした。戒律を守ることは僧侶としての基本であり、在家の民衆から見れば尊敬に値することが頷けます。
巨大なパゴダ(写真1)が市街のメイーン通りに巨大な黄金に輝いています。民衆の浄財により建設、維持されているとのことです。訪問したマハシセンは、在家との接点にいる事務方の責任者は、地元の菓子製造会社の会長をしながら、センターの運営をし、自身も多額の寄進をしているとのでした。在家の運営する協会が組織されていて、当初は協会が指導者としてマハシー長老を招聘して始めたので、マハシー瞑想センターと呼ばれていることです。
センターの中には瞑想する建物や法話を聞くための講堂や食堂、さらには修行に励んでいる出家者や在家者の宿舎などもあります。講堂(写真2)では尼僧(ピンク色の法衣)と在家の婦人が座り瞑想をしていました。我々もセンター食堂で昼食とり、午後は、瞑想の説明を受けた後に、約3時間坐る瞑想と歩く瞑想を経験しました。
(写真1)
(写真2)
翌日、その日の食物を求めて街頭にいる僧侶に布施をする経験しました。幼い比丘も大人の僧侶に交じって私たち仲間から布施を頂いていました。10時半頃になると町中にある食堂に多くの少年比丘が行列(写真3)をなして集まります。(写真4)は、彼らの食事をサポートする婦人たちが昼食の準備を終えて、少年達を迎えています。我々も同じテーブルで食事をいただきましたが、メニューも豊富でボリュームがあり美味しく、若者の食欲を充分満たせる昼食でした。サポートする大人達の愛情を感じました。
(写真3) (写真4)
日本仏教の変質
日本に仏教が伝来したのは聖徳太子の時代で、中国を経由した大乗仏教でした。最初から僧侶は国家や貴族のために奉仕することが当然のこととして継承されています。民衆に仏教が届くまでは、戦乱や疫病、天災などの飢饉に苦しむ庶民救済として新興勢力が勃興した鎌倉時代まで待つ必要がありました。その布教は法然や親鸞、日蓮などの念仏やお題目を唱えて、来世の極楽浄土や現世の安寧を願う信仰や、禅宗のような、ひたすら坐禅により悟りにいたる厳格な修行などでした。
しかし、会田氏が感動した上座仏教の僧侶とは大きく異なるものです。その一例として、上座仏教では指導者の長老や若年の沙弥に到るまで、同じ袈裟を付けて位による差違はありません。しかし、大乗仏教の僧侶は、階級により付ける袈裟は著しくことなり、位の高い僧侶はまるで金襴の袈裟と被り物も仰々しく、見世物まがいです。ここまで何でこんな権威付けするのか、その心情を疑いたくなります。
会田氏が「アーロン収容所再訪」(中公文庫、1976)で、26年ぶりにビルマを訪問した感想を書いています。そこには少しも変わらないビルマ人がいて、人なつこく、人情が極めて豊かな民族であることを再認識したと綴っています。続いて日本人の仏教についての感想を述べています。
・私たちは自分たちを仏教徒、それも大乗仏教徒、すくなくとも仏教的な思考で生きている国民だと
思っている。だが実は仏教の思想を真に我がものにしたことなど一度でもなく、とりわけ戦後はもっとも否定すべき人間の業を社会正義化する道を歩んできた。徹底的な現世利益追求の徒、我利我利亡者の集団だろう。小乗仏教か何かは知らぬが信仰の厚いビルマ人がその実体を見たら、何が仏教徒だと呆れるに相違ない。
かなり厳しい口調で日本人の仏教感を語っています。この言葉を受けて私も「生きるとは何か」(59)(2016年8月)で感想を書いていましたので、その概要を述べます。「私も会田氏の言説に頷きたい思いです。日本の大乗仏教は釈尊の教えから大きく変容していると考えます。寺や神社への参拝が、現世利益追及と古美術鑑賞になっている姿があります。敗戦により仏教思想は学校教育から排斥され、西洋思想の個人主義と自己主張することを、子供の時からすり込まれている私たちです。物質的豊かさを追及し、有名大学に入るために幼少期から学力競争の中で育ち、社会人になると利益追及と効率優先の競争社会の戦力となっています。物質的には豊かに成りましたが、心の成長が置き去りになっていたと思います。このまま社会生活を続けると、利益と効率が優先の価値観を持った偏った人間になると思いました。」
仏教を学び始めて、10年が過ぎた頃に、ミャンマーやスリランカの仏教国に短期間ですが旅行して、かの国の仏教を学ぶ姿を、垣間見ることが出来たことは幸いでした。それから更に10年過ぎた現在ではお陰様で、諸行無常、諸法無我、一切皆苦という基本的な仏教の教えを理解し体感しています。
ミャンマーの多くの民衆は仏教徒で謙虚で優しい心をもっています。しかし、残念なことに、政治の指導体制が軍人の支配となり、アウンサンスーチーさんは、今も拘束されています。仏教の教えは、権力のある支配階級に届かないもどかしさを感じています。
最近、新たな取組みとして、絵と書を組み合わせた絵ハガキを作成しています。以前描いた絵に書で言葉入れてメッセージを作成しています。