心の荒んだ若者達
最近、手頃なアルバイト感覚で、押し込み強盗や殺人を犯す若者の事件が増えています。彼ら若者には罪の意識はあまり感じられない。SNSで見知らぬ人の口車に乗って、遊びの借金返済のために簡単に稼げるとの思い込みで犯罪をしています。TVでの放映事例ですが、人通りにある商店街で、宝石店に白昼侵入して、宝石や高級時計を強奪しているところを、通行人がスマホで撮影している映像がTVで放映されています。また、指示された老人宅に、こっそり侵入でなく、勝手口の防犯ガラスをハンマーで割り、強盗に入り、金品強奪や気づかれると殺人まで犯している事例がニュースで流れています。
ここまで心が荒む原因は何か、私が子供の頃は、強盗やスリはある意味で彼らはプロ集団のようでしたが、いまは全くの素人が、先のことを考えずに犯罪をしているとしか思えません。彼らには、先々のことを考える能力や抑制する力(精神力)を学ぶ経験がないし機会もなかったと考えます。
戦後教育で神仏を学ぶ機会を失う
私の経験では、小中高校で神社や寺院のことを学んだ記憶はありませんでした。小学校(6年生の時)への通学路に大きな寺院(天台宗)があり、その横を歩いて通っていました。鬱蒼とした木立と重厚な本堂などは明るいイメージはなく、多くの墓石があり、葬式が行われる所くらいにしか思っていませんでした。
神社は母が八幡宮(八幡様と親しみを込めて呼んでいます)を信じていましたので、時折お参りに行きました。夏祭りの主催が八幡様で、各町会の山車が八幡詣をするのが町の最大の行事でした。写真1は八幡様への坂を上る八幡上です。夏の山車祭りは最も町民が団結する機会でした。家では神仏を祀り、毎朝、父が神棚や仏壇の水を替えて手を合わせている様子は見ていました。
日常の中ではこの程度の記憶しかなく、私自身が何か習慣として拝むことなどはしていません。
写真1
現在になって思うことは、若い頃に神仏に関する教育の機会があればと思っています。しかし、個人的には小学生の時のいじめの経験が活きています。気力の弱い人では、不正に向かうことができない、自分を守る武道を身につけることを探しました。20代当時、日本少林寺拳法が東京に一番弟子を送り道場を開設した最初の頃でした。早速入門し鍛錬する中で、法句経の言葉と巡り会い、仏教の一端を学べたことは、その後の社会生活で大きな力になりました。38歳の頃、松原泰道師の法句経の本を読んで、仏教とは生き方を教えてくれると知って、仏教書を読み始めました。このように見てくると、巡り会う機会は善し悪しに関わりなく、必ず次の行動に繋がることを実感しています。出会いの「縁」を活かすことは、人生を実りあるものにします。
裕福なのに自殺者が増えている国
戦後の食糧も乏しく、お腹を空かしていた子供時代にもいじめや喧嘩はありましたが、子供が自殺することなどほとんどなかったと思います。2020年の資料では、10歳から19歳の死因が、先進7カ国で自殺が一位に上るのは日本です。
2024年度は子供の自殺が過去最多527人という新聞の記事(朝日新聞1月30日)を目にしました。その内訳は小学生15人、中学生163人、高校生349人です。性別で見ると男性は前年の確定値から20人減の239人、女性は34人増の288人でした。将来を担う子供が自らの命を亡くす行為は、あまりにも痛ましいことで、これは大人の責任です。調べてみると子供の自殺について報告例がありました。
令和4年の文部科学省に報告されたのは441人で、詳細調査をされたのは僅か19件で全体の4.6%とのことです。複数回答で調査した結果は「家庭不和」が43人、「進路問題」が37人、「父母等の叱責」が34人、「友人関係での悩み(いじめを除く)」が32人となっています。多くは原因不明で62%となっています。
経済が豊かになっても、子供の心は傷つきやすいです。大人はこれくらいの叱責やいじめでなぜ自殺までと思ってしまいます。私自身も小学4年生の時にいじめに遭った経験があります。メソメソしているときに親戚の優しい叔母さんから、気にしないようにと慰められたことを思い出します。その後、自分なりの解決策をするようになり、いじめはなくなりました。性格は人それぞれですから、どのような助言が助けになるかは簡単ではありません。耳を傾けて、悩む心に寄り添い、理解してくれる人に巡り合えるのは大きな助けになると思います。これ以上のことは専門家に譲ります。
実体験することに意味がある
人生を豊かに送る言葉が書かれた書籍は沢山あります。本棚を調べてみると、生き方の指南書である菜根譚、言志四録、自省録や、生き方の実践を記した良寛や円空、二宮尊徳の本、更には、道元禅師の正法眼蔵の「現状公案」には感銘を受けました。その他、仏教書一般、生物学、宇宙論など多くの本を、退職後の20年間に読書し、少しの坐禅実践と、中国やミャンマー、スリランカ、インドの仏跡巡拝をしていました。
読書は、読んだときは感心し頷いていても、その時限りの知識となって、雑草が生えるように茂っていすが、仏教の生きた姿を現地訪問で体感すると、確りと記憶に残ります。現地での体験から、すべてのものごとは留まることのない変化のなかにある無常の姿であると体得しました。何が本物なのかを気づけるように、心が成長していると感じています。
最近の事例ですが、長いこと仏教を共に学んでいたAさんから気づきのメールを頂きました。
・最初は大したことないと思っていましたが、咳痰が治まらず加齢とはいえこれ程回復が長引くのは初めてです。過去にはいろいろな傷病を経験し、入院手術をしましたが回復し元気になれば、それで一件落着でした。
今回、就寝中に障害が感じられる口内、喉、鼻、心臓を刺激の度に受け止めていくと、一つ一つの働きを冷静に受け止めました。何も障害がない時は、当たり前のように思っていたことが、そうではないんだと今更ながら知らされました。
生きていることは、自我によるものではなく、正に生かされていると!
人間という生命は、構成している複雑な組織の各細胞間の微妙なバランスの働きでなりたっているのだなと実感しました。今までにない感覚です。
なぜこの様な受け止めになったかは、就寝中に感じたのですが、現在、今苦しんで寝込んでいる状態を真剣に見つめようとしたからかもしれません。
この気づきは、身体を通して全身で感じたのです。概念や知識により理解したのでなく、生きている身体の生の働きを感じ取って、心から得心したこの経験は、非常に重要なことです。日常の心は主義主張・思想や概念、妄想に捕らわれて社会生活をしています。生きていることの真実の見方があることに、なかなか気づくことはできません。
もう一つ例を紹介します。拙書「生きるとは-もう一人の自分探し」(銀の鈴社、2023)の「あとがき」に書いた事例です。TVのゲスト出演していたある女優さんの出産を経験したときの話です。
・20代の若い頃は、100人中99人は敵!と思ってツッパッテいて、何とか自分の気持ちを保っていたそうです。その彼女が子供を産んだ時、自分は食べて寝ているだけなのに、何でこんなにちゃんとした赤ちゃんが生れてくるのか。心臓は動いているし、誰が作ったのかと思った。もしかして私の心臓も誰かが動かしているのかと、それまでは自分の心臓も自分で動かしていると思う自分がいたそうです。
大きな力が自分も生かし、赤ちゃんも生かし、宇宙全体を活かしていると、ガーンと気づいたとのこと、そんな大きな強い力があり、それが自分にも届いてきているから今の自分があるのだということを出産体験で気づいたそうです。そのころから少しずつ性格が円くなったと語っていました。
これはAさんの体験と同じです。彼女は、言葉や思考をはさむことなく自然な状態で受けとめて、全身で大きな力を感じたのです。この体験は強く心に残り、日常行動に影響を与えて性格が温和になり、その後の女優人生を実りあるものにしたとのことです。
文明は進化したのか?
禅僧の内山興正老師が著書「進みと安らい」(サンガ、2018)の中で、「生命の実物」は不二なのにいろいろな「考え」(神話)ができて、それぞれの組合(集団)が、お互いを主張しあって馬鹿らしい闘争をしていると述べています。私たちはこの宇宙が生み出した生命であり、思考する高度な脳の働きで多くの文明や文化を創作してきました。脳が生み出す思考の産物だけがすべてであるとの思いで生活しているのが実情です。ブッダの言葉を集めた仏典{スッタニパータ:中村元訳、「仏陀の言葉」}に次の言葉があります。
・ある人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の(道の人) は同一の事を語らないのであろうか?(883)
・真理は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。
かれらはめいめい異なった真理をほめたたえている。それ故に諸々の(道に人)は同一の事を語らないのである。(884)
現代世界の出来事を見てみると、大国の指導者が、自国の利益や自身の保身や名誉のために主張を述べています。他国の発言は虚偽である、その土地と資源は我国が管理する、と言い張って、軍事力を背景に圧力を掛けている状況です。何処に真実があるのか、力が支配する世界に様変わりしています。誰も先を読めない混迷した状況です。2600年前のブッダの言葉にあるように、異なった執見をいだいて論争する姿が、そのまま現代にも見られます。
誰もが幸せになりたい、少しでもよりよい生活になるために、西洋諸国によりもたらされた近代の科学技術は発展して、確かに便利になり、生活は向上し、科学技術文明の成果と言われます。しかし、人々の精神性は向上していません。40年前の内山老師の言葉がそのまま現実となっています。
・「現在の」科学技術文明は、キチガイ文明であることは事実です。それというのは根本的にいって、今の時代の人類は、いまの科学技術文明をあやつるだけの「生命の力」をもちあわせてはいないからだという、一語につきます。この巨大な文明をあやつる「生命の力」をもたずして、このようにいよいよ加速度をつけて走らせることは、まったくキチガイ沙汰であり、同時に今の時代の文明を「暴走文明、「キチガイ文明」とよぶよりほかないものにしてしまうのです。このことは、われわれ現代人として何より根本的に反省しなくてはならないことではないでようか。
今年になってからのトランプの再登場で、益々この感がひどくなりました。僅かな大国の指導者により、国際政治や経済は混迷を深めてきています。最近になり、急速に発展しているAI技術は、益々便利な最新技術ですが、使い方しだいで利点ばかりでなく、負の側面にも展開する可能性もあります。
世間に目を向ければ混迷の世界が展開している。私たちはどうすることもできません。世がどう変わろうと生きているのは、今この時です。過疎の雪深い山里に暮らしている私(老人)は、ここを道場として精一杯生きている、何も不足はない。