日々のこと - No.2

出家者とは名ばかり

2019年6月3日発行

6月1日の91回目の輪読会でテーマにしたのは、現代日本仏教界の堕落を嘆いている高野山真言宗管長の宗派内の機関誌(六大新報、2006年新年号・巻頭文)に寄稿している内容に驚いたからです。
「今、我ら高祖の末徒を称したる者の様たるや如何? 真言行人に三蜜の鍵もて庫を開けたる者なく、顕薬施して塵苦を払ふの人も無し。ただ手に蜜印を結んで弄(もてあそ)んで口に真言を囀(さえずり)り、意(ここ)ろ三毒に刹那として離れず、つひに仏日の影、行者の心水に影することなし。」4頁もある文なので始めの数行を記しました。真言宗の現状は、傍から見ればしっかりと務められているようですが、内部から見ると、僧侶とは形だけで心がなく、世俗と同じような生活をしていることを嘆いています。詳細は「生きるとは何か」(91)を見てください。関心のある方にはメールで送信します。遠慮なく申してください。

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