人は何のために生まれてくるかとの問いは、永遠のテーマとして昔からあります。川崎市で起きた中年男性の小学生殺傷事件や、幼い子供への両親の虐待など痛ましい多くの事件を聞くにつけ、生きる意味など問うこと自体が空しく思えてくる状況です。人は生まれる時に、どんな環境(国、地域、家庭など)で誕生したかで、自身ではどうすることもできない大きなハンデが最初から与えられます。恵まれた家庭に生まれたようでも、不幸になる人もいれば、劣悪な貧困家庭に生まれても逞しく生き抜く人もいます。一瞬先まで幸福な生活をしていた人が、ブレーキとアクセルを踏み間違えた老人の暴走車で命を落とすこともあります。大地震や集中豪雨などの自然災害は、毎年どこかで発生し多くの犠牲者が出ています。このように見てくると、人の寿命は、どこで何時、幕が下ろされるか分かりません。遺された遺族の悲しみは耐え難く、心に深い傷が残ります。傷が回復するには長い時間が掛かります。
このような人生の現実にどのように対処するか、事故に遭遇してからでは遅いのです。普段から心の準備が求められます。「生きるとは何か」を書き続けたことで気づかされた多くのことがありました。