生きるとは何か - No.20-5

役に立つ生き方

2020年5月1日発行

私達は、目の前の出来ごとに気を取られ、人生はまだまだ先があると思って生活しています。立ち止まって今の自分を振り返ることはほとんどないと思います。しかし、定年間際の社会人ならば明日の仕事の心配や将来の年金生活への不安と期待に意識は向かいます。人生のどの時期を生きているかで人それぞれ思いは異なります。私のような後期高齢者になると、身体能力は衰え、記憶力や注意力も低下して、2年先、5年先未どうなるかは見通せなくなります。この時期に来て、やっと今日一日の生きている重みに気づき、元気に生活が出来ていることに感謝できるようになりました。特に、今はコロナウイルスの猛威で名の知れた方々が突然亡くなったとのニュースが毎日のように報道されています。誰もが長生きしたいとの思いはもっています。しかし、約束されるものでもなく、何時いかなる原因で寿命が尽きるかはわかりません。今生きている時間が如何に貴重なことであると気づくことが大切なのです。
自宅自粛で時間が十分にありますから、静かに自身の心と対話しては如何でしょうか。70年、80年生きてきて、過去にした多くの経験と、その時の悩み、苦しみや楽しみなどは、一瞬にして頭の中を駆け巡り、あっという間の人生だったなあ~と感じます。人生の目的とは何だったのか、どのような生き様をしてきたか振り返ることも、この後の人生には必要なことと思います。

人生は夢のまた夢
世間的な目標は業績を残し、収入を増やし幸福な生活をすることです。人によって違いはあるものの、優秀な人なら起業して社長になり大きな事業をしてみたいと、学者なら世界的な業績や発見をしてその世界で名を残したいと望んでいるでしょう。その結果、満足をする人もいれば、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで活躍していたのに、思わぬ落し穴にはまり、落胆の内に寂しい晩年を迎える人生もあります。
歴史上では、豊臣秀吉が出世頭のトップであったと思います。貧しい百姓生まれであったが才覚に優れ、仕えた主人の草履番から関白太政大臣にまで上り詰めています。途中の人生は華々しく、人心を掴むことにも優れ、戦国の混乱のなかで、出世の階段を駆け上がっています。しかし、晩年はそれまでの成果をドブに捨てるような愚行をしています。老齢になると頑固で人の意見にも耳を傾けず、自分の野心と妄想だけで、朝鮮出兵を強行し、隣国への大迷惑と自国の大名や民衆に苦しみを与えています。
秀吉は自分の生涯をふり返ったときに、望みはすべて叶えてきた満足はあったでしょう。しかし、死後にこの栄光を残せるか考えると、権力も武力もまだない幼い秀頼だけ、大きな不安に襲われて苦しんでいます。その事実に気づき、残した辞世の句が
「露と落ち、露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
と詠まれています。

現在の例では、東京電力の社長、副社長ともなれば、世間的には大成功者と言われます。だが東日本大震災で原子力発電所の炉心メルトダウンを起こすという大事故の責任者でした。千年に一度と言われるような大地震が起こり、巨大津波に襲われる時期を予想するのは専門家でも困難です。しかし、地下に電源設備があり、万が一浸水したら発電所の機能がすべて消失することは予想できていました。震災の数年前に、10メートル以上の津波に襲われる可能性が予測され改修案が出されています。
当時の副社長は何時起こるか不確実のものには大金を投資できないと見送ってしまったのです。原発を運用する責任者は原子力発電の本質的な危険を知って、万万が一にも備えて安全策をとるべきなのです。残念ながらそこまでの自覚がなかった、折角の防げたチャンスを逃しています。人々の幸せを最優先にする心があればできたことです。利益を最優先にした判断が、後世に残る大惨事を引き起こしたのです。
大会社の経営者は利益や効率が優先される企業原理のなかで育ってトップになった人たちです。最近では、名のある大会社でも最終検査品質の誤魔化しや下請け任せの品質管理が露見して大きな損失と信用の失墜という事態を起こしている事例が幾つもあります。

日産のCEOカルロス・ゴーンも典型的な事例です。
日産に招かれたときは救世主でしたが、数年すると権力を独占し、利益と効率化を推進する裏で、自身の欲望を満たす金銭欲と名誉欲が芽生えたのでしょうか。蓄財と贅沢三昧の結果、社内からの造反によって地位を追われ、逮捕拘留、挙句に、最後は日本脱出するという国際的な逃亡劇を演じています。
誰でも人に認めてもらいたいとの自己顕示欲や金銭欲はありますが、トップに立つと慢心が生まれ、助言や行動を抑制してくれる人は周りにいなくなります。自分で気づき自己を抑制するには、よほどの挫折や良き助言者に出会わない限り変わることはないと思われます。自分の心を見つめて観察し、反省する機会はほとんどないでしょう。多くの業績を残された人であればあるほど、過去の栄光に執着しますから人生が「夢のまた夢」に終わる可能性が高いことになります。

執着を捨てる
世に言われる成功者が人間として心の成長がなされていないと、折角の成果も残念な結果に繋がり、苦を生みだしていると言えます。慢心した人は、自分を観察する心も芽生えません。秀吉のような天下人や社会的に高い地位を得た人は、周囲には助言者なく、その肩書や業績に執着します。本当は、それらは過去のものなのです。実績と経験が、どれだけ人格向上に寄与して、心の成長に繋がったかで、老後の豊かさが左右されると思います。外部の評価は他人が勝手にするもの、感謝はしても執着しないことです。
評価の基準は、活動の成果が社会の役に立ち、自分が今、どれだけ心が安穏で落ち着ているかです。昔の評価や経験を引きずると苦しみが増えるだけです。執着を無くすことによって、日々の幸福感が増えてゆくと思います。過去に執着し、妄想している人生は、虚しい結果に終わります。力強く再起した事例を見つけました。

素晴らしい人生(活動事例)
NHKこころの時代「悲しみ癒す旅路」をTVで見たのですが、国立がんセンターの元総長の垣添忠生氏は最愛の奥さんをガンで亡くし、悲嘆のどん底まで落ちて、その苦しみを味わったことで、患者側の苦しみを救うための活動をしています。奥さんを亡くした悲しみは消えないが、医者としての経験を最大限活かしながら、ガン患者やガン経験者と家族を孤立させないために、全国行脚で講演をしている姿に心を打たれました。インターネットに掲載されている情報を引用しますので詳しくはそちらを見てください。

2018年2月5日から約半年かけて、「全国縦断がんサバイバー支援ウォーク」に挑戦
します。目的はがんサバイバーへの理解を深めてもらい、支援策への寄付を呼びかけることです。

           

                垣添忠生氏
福岡市にある九州がんセンターを最初に訪問し、全国がんセンター協議会に加盟する病院32カ所を歩いて回ります。ゴールは札幌市にある北海道がんセンターで、総移動距離は約3500キロ。このうちの一部では電車などを利用するかも知れませんが、体調や日程が許す限り歩きます。3千キロは自分の足で歩くつもりです。日程などは、
特設サイ ト(https://www.gsclub.jp/walk で随時、お知らせします。

垣添氏は現役時代の経験と知識を活かし、自分の置かれた環境の中で。新たな活動に生きがいを見いだし、素晴らしい人生を歩んでいます。

仏教が説く役に立つ生き方
新型コロナウイルスの世界的な蔓延で、世の中は混乱しています。この状況で我々個人ができることは、外出を避けて、感染しないように注意して、感染拡大の起点にならないことです。 自宅待機というシンプルな対応でも、国全体で見れば、経済的に影響が大きく、失業や倒産が拡大し、多くの国民の生活が困窮することにつながります。しかし、皆で一定期間我慢して、コロナウイルスがはびこる道を塞ぐことが最善の策のようです。社会的、経済的な対応は政治力が問われる場面で、政治家の力量が問われるところです。

このような局面で、仏教が説く生き方にヒントがあると思い、スマナサーラ長老の著作を開いてみました。精神科医の名越康文氏との対談した著書「浄心への道順」(サンガ、2016)から関係する箇所を要約して検討します。
名越氏が人間はどうも退屈な時間を恐れますね。だからよく考えて時間を何に使うか決めるよりは目の前の刺激や関心に即座に没頭してします。との言葉に対して以下のように
述べています。

・余った時間がただ単にソーシャルメディアに依存して終わってしまうのは問題です。
…私は「その分をもうちょっとインスピレーション的に使ってほしい」と言いたいのです。…いつでもずっと、インスピレーションが必要なんです。でないと、「stagnation (スタグネーション)=淀み」になります。変化なし。変化のないものは腐って壊れます。よく経済で「足踏み状態」と偉そうに言いますが、その訳はちょっと良すぎます。「足踏み」でなく「淀み」なんですね。ものごとは、そのままに放っておいたらどんどん退化して腐るということは事実です。すべて無常ですからね。変化することで成り立っているのです。 変化は誰もどうすることもできない法則です。そして、私たちは何とか変化の流れを変えることができるだけ。…やるべきことは変化の過程がよい方向に行っているか悪い方向に行っているのかチェックして、自分で判断して、良い方向に変化するようにすればいいだけなのです。(p170)

現在は新型コロナウイルスで社会の急激な変化が起こっています。中国で最初の対応が誤ったことで全世界に拡散しました。この災難をスマナサーラ長老のいうインスピレーション(ひらめき、新しい考え)でよりよい国際関係を築けるか問われていると思います。経済的ダメージは大きいが、社会の構造が変化するきっかけになると思います。

・とにかく、淀まないで生きることですね。その秘訣は、先ず一番目のやり方はインスピレーションです。二番目のやり方もありますよ。…「自分がどうすれば役にたつか」と考えるのです。自分が役に立たない場合は、自分の存在価値がなくなってしまうのですね。社会にとってはちょっとお荷物です。家族にとってもお金のかかるお荷物になってしまいます。…たとえ社会に出ていてバリバリ稼いでいてもね、わがままで自分だけ喜んで稼いでいる場合は存在価値がありませんよ。社会の役に立っている人には存在価値が成り立っています。(p179)

世間的に見ると、かなりきつい言葉です。反論する方もいると思いますがスマナサーラ長老は生きることの真理から見たときの言葉はさらにきついです。

・「誰だって命は尊い」とかそんなのは大嘘で、冗談じゃないです。誰だって、ただ生まれたから生きているし、自然法則によって死にます。それに手を加えることは誰にも不可能でしょう。だから我々は意図的に生きているあいだ、このシステムの中で役に立つように生きなくてはいけないのですね。それは個人の義務です。

この言葉をストレートに受け取ると、自信をなくし、落胆している人は、さらに落ち込んでしまうかもしれません。しかし、人間には次のステップがあります。

・「役に立つかたたないか」の場合は、多少なりとも自分にとって生きる価値が必要です。私は「仏教的には生きることに何の価値もない。無意味だ」と言います。「だから私たちは無理に、強引に価値を作らなくちゃいけない」と。それは可能ですよ。因果法則の世界ですから、条件が変わったら別な現象が現れます。それは永久的なわけではなく、いつでも条件によって壊れてもいくものです。だから一時期、きちんと役に立っていたからといって油断はできません。いつでも条件しだいです。「かつて役に立った」けれど、今は誰も相手にしてくれない、という人もけっこういます。ということは、今、自分は役に立つ存在であるかもしれませんが、それも因縁によって一時的であると理解しなくてはいけないのです。その場その場に現れる新たな条件に応じて、自分の人生を役に立つように改良し続けなくてはいけないのです。ようするに、淀みの反対の、流れの生き方です。社会全体に役に立たなくてもいいのです。地球の役に立たなくてもいいのです。そんな妄想は必要ありません。私たちはある社会環境で生きています。だから自分が生きている社会環境に役にたてばOKです。(p181)

対談者の名越氏は空海の研究をしているそうですが、空海も同じことを言っていると話しています。

・名越:空海が言う人間の成長段階でも同じですね。空海は、第一段階(第一住心)というのはいわゆる動物的な生き方である、と。自分の枠のなかでしか生きられない、自分の損得勘定しかできない。人と分かち合ったり人のために生きるのが喜びになる段階が、その次の(第二住心)だと明言しています。「その段階に行くこと以外に人間が成長する道はおそらくないよ」ということまで、たぶん明言していると思います。「自分が何か余裕があったら人に与える。あるいは自分に何もなければ人の役に立つことを隣人のためにすることがまず人間としての、目覚める第一歩だ」ということで、僕もすごく共感しています。(p182)

さきの垣添氏の生き方は空海の教えの第二住心を実行している姿と思います。人間として生きることは相互依存の関係にあるのです。一人では生きることはできません。直接、間接に多くの人と関わり、更には、空気、水、植物、動物、細菌類と地球上のあらゆるものとのつながりのなかで成り立っているのです。このことを意識しただけでも心が広がるように感じませんか。まずできることは自分の身近な人の役に立つところから始めることです。自己の利益と保身だけでは真の幸福はないと気づくことです。

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