苦しみに満ちた世界
仏教では、人生は苦であると説かれています。最近の世界を見れば、新型コロナウイルスの世界的な蔓延により日常生活は様変わりを強いられています。また、ロシアの武力進攻によりウクライナの人々は死の恐怖と破壊された故郷を離れる苦しみに直面しています。遠く離れていても、情報通信の発達した現代では、リアルタイムで悲惨な状況を知って我々にも苦しみが生まれます。現代社会は科学技術や近代文化が進歩した世界になったように思えますが、極端な貧富の格差、人種差別、権力者による武力侵攻などにより、理不尽な苦痛が引き起こされています。
日常生活の中で、苦しむのは自分が抱く思いや期待がその通りにならないから起こると言われています。その最も大きな苦しみは「生老病死」です。生まれてくる苦しみ・老いの苦しみ・病気の苦しみ・死んでいく苦しみという事実です。生まれたということは死にゆくことでもあり、表裏一体の関係です。更に、愛するものと別れなければならない苦しみ、怨み憎んでいるものと会わなければならない苦しみ、求めるものが手に入らない苦しみ、心身がコントロールできない苦しみ、などは生きている限り避けることができない苦悩です。
生まれたことも自ら知るすべもなく、誰を両親とするかも知らずにこの世に生を受け、成長するためにも多くの人様のお世話になっている「私」という存在があります。人生とは何か、生きる目的は何か、と誰かに問いかけたくなりますが、自からに向き合い、答えを導き出すことが必要ではないでしょうか。
人生は無常
自然の移ろいは私たちに無常の姿を見せています。待ち望んだ桜が散り、若葉が眩しい新緑の季節になりました。移り変わりの速さに時の流れを感じると共に、清々しい気分を味わうこともできます。この様に時々刻々に変化する自然を観察している我が身は、変わっているとは感じられません。しかし、ミクロな視点で見ると、絶え間ない変化をしている無常の身体を知ることができます。一例ですが、福岡伸一氏の本「動的平衡、ダイアローグ」(木楽舎、2014年)に、次のような言葉があります。
・私たちの体は、分子や細胞レベルで絶えず分解され、入れ替わり、再構成されていて、それを構成する要素が生みだす「流れ」である。
口から入った食物は胃で消化され、腸で最少のアミノ酸にまで分解され、腸壁から吸収されて、血液で全身の細胞に運ばれて、そこで必要とされるタンパク質に再構成されているとのことです。極論すると、私たちの体は構成する要素の流れと見ることができると述べているのです。また、この本の対話者の一人である玄侑宗久氏は、次のようにも語っています。
・現代人にとって、自分が観察者となって移りゆく世の中を眺め、「世界は変化し続けている」と思うことは難しくないと思うのです。でも「そう思う自分も、無常に変化しつつある」と知ることは決して簡単ではない。人間は、ついつい信念、確信、信条といった無常ならざるもので自分を支えようとしてしまいます。
今ここにいる自分は、変化していると感じている人はいないと思います。常に私はあると思って生活しています。絶え間なく変化する無常の姿は想像したくもなく、「私」という確固たる自分はいると感じているのです。
あらゆるものが変化し続けている状態を仏教では「諸行無常」と言いますが、今意識している「私」も時々刻々に変わっています。この無常を確りと意識することで、苦しみの原因を知ることができ「私はいない」と知り、執着を離れることができると教えています。言葉で表すと簡単ですが、難しい現実があります。
歴史はくり返す
本質は「無常」であっても、人生の中には喜びも悲しみも苦しみもあります。誰でも幸せになりたい、楽しく、有意義な人生でありたいと願っています。だが現実は、ロシアによるウクライナ侵攻のように理不尽な避けがたい不幸が襲ってきます。歴史を振り返っても絶えず同じようなことが繰り返して起こっています。
旧約聖書のコへレトの言葉の中に、次の一節があります。
すでにあったことはこれからもあり
すでに行われたことはこれからも行われる。
太陽の下、新しいことは何一つない。
見よ、これこそは新しい、と言われることも
はるか昔、すでにあったことである。
どのようなことがくり返しされても、人は幸福を求めで生きています。コへレトの言葉は最初に仏教とも共通するような言葉で始まります。
空の空
空の空、一切は空である。
私がこの言葉を知ったのはNHKこころの時代で放送(当初は2020年4月~9月、コロナで半年延期)された「それでも生きる」旧約聖書「コへレトの言葉」でした。解説は東京神学大学教授の小友聡氏です。
放送でこの言葉に出会って、仏教の般若心経の「空」を思い起こし、感動を覚えました。コへレトの言葉の空(へベル)の意味は、小友氏は「束の間」と訳して解説されています。人生は「束の間」であるとは、真理を突いた言葉であると思いました。束の間の人生であるからこそ、日常の幸せを幸せとして認識することが大切であり、どのようなことが起きても、一貫して「生きよ」と呼びかけています。
古代に繋がる両面宿儺(りょうめんすくな)
円空の木仏像がある岐阜県高山市の千光寺を訪れて、微笑みをたたえた木造の諸仏像を見学することが目的でした。しかし、両面宿儺像が話題になっていることを初めて知りました。それは最近の漫画やアニメに両面宿儺が登場し、若者の話題となっていることの影響で、円空作の両面宿儺も人気になり、多くの若者が千光寺を訪れるようになったとの説明がありました。写真1に示すように、二面の顔と手には斧を持ち、腰に剣を差した妖怪のような木仏像です。
写真1 両面宿儺の木仏像(パンフレットより転載)
両面宿儺が日本書紀に記載がされていることを知り驚きました。寺のパンフレットには、千光寺は1600年余の古刹で、仁徳天皇の時代に飛騨の豪族・両面宿儺の開創によると伝えられ、仏教の寺院としては、1200年前に、空海の10大弟子の真如親王によって真言密教の飛騨祈願所として建立されたとのこと。
日本書紀(全現代語訳、日本書紀(上),宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988)の仁徳天皇の章に次のように記述されています。
・六十五年、飛騨国に宿儺という人があり、体は一つで二つの顔があった。顔は背き合っていて、頂は一つになり項(うなじ)はなかった。それぞれ手足があり、膝はあるがひかがみはなかった。力は強くて敏捷であった。左と右に剣を佩(おび)いて、四つの手に弓矢を使った。皇命に従わず、人民を略奪するのを楽しみとした。それで和田臣の先祖の難波根子武振熊を遣わして殺させた。(249頁)
文中のひかがみは辞書によると膝のうしろのくぼんでいる所とあります。顔が二つで手が四本あったとは真偽のほどは分かりませんが、風体が異形だったのでしょうか。仏教では十一面観音とか千手観音などの異形の仏を見慣れている私たちの信仰の面からみると異形の仏像は普通に受け入れられます。
江戸時代の貞享(1684年から1688年)年間の初期に円空は、千光寺を訪れていると長谷川公茂氏(円空学会理事長)は推測しています。両面宿儺の像は、古い伝えを聞いて木仏像として制作したと思われます。日本書紀に記載されている悪人ではなく、地域の伝承では悪鬼や龍を退治して、寺院を開創するような地域に貢献した豪族であったが、大和朝廷に服従しなかったことで討伐されたと推測されます。両面宿儺についてはウイキペディアに諸説が記載されていますので興味を持たれた方は参照してください。この両面宿儺に関しては全く予期していなかったので、漫画やアニメの影響の凄さを実感しました。
千光寺は永禄七年(1565年)甲斐の武田信玄の将、山県昌景の軍勢に攻められ、兵火により堂宇は焼失しています。25年後に飛騨の国主となった金森公が名刹を惜しんで再興したのが現在の寺とのことです。
束の間の人生を生きる
現代でも飛騨高山は山岳地帯であり、名古屋からJR高山線の特急列車に乗ると、深い渓谷に沿って約3時間走り、遠方にアルプスが望め、低い山に囲まれた高山市に着きます。日本書紀の仁徳天皇の時代に、すでにこのような山岳地域まで大和朝廷の支配権が及び、命令に従わない豪族を滅ぼしている事実があることを知りました。更に、時代も下がり戦国時代には武田信玄が進攻して、千光寺は兵火により焼失しています。
何時の時代でも歴史は勝者の記録です。大和朝廷や武田信玄は侵略者であっても悪者として記録されていません。ロシアのプーチン大統領の言うことが、ロシア人には真実となり、ウクライナからの情報は捏造であると思いこまされています。
たまたま、ある時代に生きた人々は戦火の苦しみを受けます。人は生まれる時(時代)や国や地域などを選択できません。生まれたからには与えられた環境で、束の間の人生を生きることになります。日本に生まれ育った私たちの先輩は大きな戦火に会い、沢山の人たちが命を落としています。その後、70年以上経過した現代のわれわれは幸いにも戦火を経験することもなく平穏な日々を過ごしています。まだ来ない将来は何が起こるかは分かりません。生きている今が幸せな時です。この生かされている今に感謝して、欲張らず、謙虚に生き切ることが本当の幸せと言えるのではないでしょうか。