生きるとは何か - No.23-1

人生には忍耐が大切

2023年1月1日発行

忍耐が大切であるということに気づかされた出来事がありました。親や子供の死に直面したときに心は大きく動揺し苦しみが生じます。特に、重い病で苦しんで長い病棟生活を余儀なくされている子供たちを見ると切ない感情が湧いてきます。両親にしてみればその苦しみは耐え難いものが有ると思います。先日、僧堂の修行では衣食住が守られているので本当の出家ではないとして、全国托鉢行脚した小林義功和尚の観音堂での勉強会に出席し、久しぶりに忍耐という言葉を聞きました。

勉強会に初めて参加した初老の方が親の死に対する苦しさを話した時、忍耐だよ、忍耐することが修行だと述べました。それを聞いて忘れていた忍耐の事を思いだしました。困難や苦しみに遭遇した時、慌てないで冷静に、次にやるべきことを決めて、淡々と実行することが大切で、そこには忍耐が求められます。

  私の体験

私の3歳年下の弟が40歳頃に悪性の膀胱がんになりました。今でも記憶しているのは6月のある日、前橋の日赤病院に呼び出された母に同行し診察結果を聴きに行きました。同じ診察結果(膀胱がん)の人が5名待合室にいました。看護婦さんが来て、弟を除いて4名の方は担当医の先生が説明されるが後藤さんは院長先生からお話が有りますと告げられたのです。4名の方は皆さん、放射線治療を受けることになったとのことでした。

待つこと暫くして院長室に呼ばれ、第一声が「極めて悪い状態で、今できる治療は抗がん剤治療しかありません。この治療をしても結果は分かりません」とのお告げでした。「もし治療しないと、何か月もつのですか?秋頃までですか?」と問うても、何とも言えませんとの返答でした。今出来ることはこの抗がん剤治療をするしかありません。了承いただければ治療を始めますとの宣告でした。

少し考えさせて下さいと言って母と帰りました。私は東京への帰り際に、セカンドオピニオンとして聖路加病院に立ち寄り、泌尿器科の先生に事情を説明し意見を聞くと、抗がん剤治療が最適だが、抗がん剤の治療確率は良くて2割ですと聴かされました。次の日には東芝中央院にも行きましたが、同じような答えでした。当時、弟には3人の子供がいて下は0歳から4歳までの女の子、もしもの時はどうするのか頭をよぎりましたが、余分なことは考えずに、目の前の対応に集中しました。

確率は悪くてもこの抗がん剤治療に賭けるしかないと決めて治療を始めてもらいました。治療を始めると状況は過酷で、抗がん剤を週はじめに注入すると2,3日は激しい嘔吐や苦しみがあり週末には少し回復する。次の月曜日にまた抗がん剤注入し同じような苦しさが襲って、頭の毛も抜け始める。この治療を何サイクルもするのは見ていて切ないものでした。私は週末に立ち会うだけですが、母な毎日、渋川から前橋までバスで通って看病していました。乗り物に弱い母が40分かけて通っていることに少し驚きましたが、我が子のためにはバス酔いは克服できるのだと知りました。

その後、弟は幸いなことに抗がん剤治療が適合したのでしようか、5年たち10年経過しても再発することもなく生き延びることができました。

当時を振り返って思ったことは、院長先生から診断結果を知らされた時に、悲しみもなく、大変だという思いもなく、淡々と次にどうするかと思いを巡らしていました。自分では判断できない問題だからセカンドオピニオンを求めることだと思い、二カ所の大病院を訪問。どの先生も同じ答えでしたので、抗がん剤治療を始めてもらいました。母もオロオロすることなく淡々と目の前の状況に対応していました。

この抗がん剤治療が終了したある時、耳にしたのは、放射線治療を受けていた4名の方は1年後には全員亡くなったと知りました。当然、弟には知らせていませんでした。知らせたのは30年後のある日です。九死に一生を得るとはこのことで、弟は今年で79歳、元気に絵や音楽、地域活動とその後の人生を送っています。

仏教で説く忍耐

古い経典のダンマパダ(法句経)184に「耐え忍ぶことは最上の修行である」との言葉があります。スマナサーラ長老の解説では「忍耐とは自分の精神の弱みと闘うこと」と定義しています。忍耐には「落ち着く」という意味もあり、なにが起きても心を冷静に保ち、自分が決めたことを全うするように、理性に基づき努力することであると言っています。

日々の生活の中で私達は常に何らかの障壁があります。最近では蔓延しているコロナ過で不幸にもコロナ感染したら私の経験では、病院に連絡しても予約ができず、抗原キットで陽性か陰性か検査して陰性でしたが、ガイドラインに沿って体温測定と酸素濃度を計測し異常がないか見守りながら自宅待機をしました。

ここから先は、自著の「生きるとは何か 仏教の根本には科学がある(サンガ、2019)で忍耐についてスマナサーラ長老の言葉を引用して解説していますので、要約して紹介します。
(詳細は354~360頁参照)

日々の生活はトラブルの連続

・実は、我々は毎日災害に遭遇しているのです。しかし、正しく対応してそのハードルを乗り越えているので、あまり気にしないのです。対応しきれないケースについて、あえて「災害」と呼んでいるだけなのです。対応できないハードルに対して、素直にその現実を受けとめていればいいのに、どうして悔しがって落ち込むのでしょうか? 起きた出来事を受け入れたくないのです。…… 親戚が無くなった、家族が亡くなった。これは耐えがたい災難です。自分に降りかかった大きな問題ですね。どう対応すればいいのでしょうか? 途方に暮れて落ち込む必要はありません。対応の仕方はいたって簡単です。「では、どうする?」と自分に問えばいいのです。ただ、それだけです。

弟の場合は、余命がわずかと告げられ、「ではどうする?」と自分に問うて、抗がん剤治療の苦しみを回避して、残りの時間を穏やかにすごすように勧めるか、確率は僅かでも治療を受けるかの選択でした。日常に出会う問題は三種類に分類でき、それぞれの解決方法がありますと述べています。

  • 解決策がある問題、②解決策を導き出さなくてはいけない問題、③解決策のない問題

があります。①は生活の中で日常的に出会う問題です。②は弟の事例です。③は親や子が亡くなり、深い悲しみに陥るなどの問題。これは解決の難しい問題です。悩み始めると苦しみが増します。人が死ぬことは、誰にもどうすることにできないことです。自分が何とかしなくてはいけない、という管轄外のことです。要するに、答えは存在しないのです。老いること、死ぬこと、自然災害などには答えがないのです。③は答えがないのに、一生、悩み苦しむことになるのです。

・「すべてのものごとは無常である。因縁によって生じる」とういブッダが発見した真理に基づいて、訓練して見ましょう。生きるうえで私たちは、三種類の問題に、常に遭遇する。そのたび、「どうすれば?」と自問自答します。「どうすれば?」という言葉は、「あなたがどう対応したら、この問題は解決するのでしょうか?」という意味です。答えが必ずある日常茶飯事の問題を乗り越える時も、楽しみが生じるのです。充実感が生じるのです。答えを導き出せる問題に対しては、より強い充実感が生じるのです。答えがない問題に対しては「それは問題ではありません。自然法則です」という理解で、落ち着いて冷静にいることができるのです。 

人生、生きていれば常にトラブルは起きます。ハードル走のように乗り越えていかなくては生活に行き詰まります。問題を整理して理性的に判断できるように普段の訓練が必要です。

特に、生老病死のような解決策のない問題は、自然現象、自然法則なのです。過去を引きずって「ああすればよかった、こうすればよかった」と悩むことは危険であり、悪魔の誘惑で、後悔してはいけない。「いま、どうすればよいか?」という問題にだけに、真剣に対応しなければいけないのです」と長老は述べています。いざという時、悩み苦しまないためにもう一度「忍耐」ということを考えてみてはいかがでしょうか。    

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