人は全てを知ることは出来ません。生きることは、山あり谷有りの世界であり、平坦な人生はない。希望の大学に入学できて喜んでいるすぐ後に、田舎育ちの若者は、友人がいない寂しさに、つい甘い勧誘に乗り仲間が出来たとほっとしている隙に、洗脳の魔の手が忍び寄ってくる。気がつけばすっかり囲い込まれ彼らの、教義にのめり込んでいることすら分からない若者です。苦しいときや寂しいときは、心は沈み弱っています。何かの助けを求めていると、その間隙に怪しげな新興宗教の言葉に騙されてしまっている現実があります。これは実例です。知り合いの娘さんが統一教会に組み込まれて、青春の多感な時期を台無しにされています。宗教に関するある程度の常識的な知識(とは言っても何が常識か?)があれば回避できたことでしょうが、知らないと彼らの教義の不自然さにも気づくことができません。
統一教会へ誘い込まれるのは、個人の意識のありようが問題ですが、理不尽なことは、私たちの暮らしている社会では、幾らでも事例はあります。世界的にみると、ロシアのウクライナ侵攻という理不尽な問題で、双方に多くの犠牲者が出ています。この問題も解決していないのに、中東で、テロ組織ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃に端を発して、軍事的に優位なイスラエルがガザ地区へ侵攻し、多くの民間人が犠牲になっています。これは根の深い歴史的な経過のあることでしょうが、見えないところで暗躍している力が作用しているようにも思います。
国際政治混迷の裏側
先月、旅行で知り合った方との会話から国際政治のことで教えられることがありました。紹介された数冊の本を一読して視野が広がったと感じましたので紹介します。
ここで紹介する本は渡辺惣樹著「 アメリカ民主党の崩壊2001-2020」(PHP研究所)です。読んでみて、アメリカの政治の分断が進んでいることを知りました。その根源にはアメリカで起こった新保守主義(略称:ネオコン)があり、それは民主党政権の看板です。彼らの主張は1.徹底的な反ソ、2.小国の政権を強引に親米に変更(傀儡政権化)、3.先制攻撃は許される、4.経済リベラリズム(自由貿易)、5.リベラル的社会政策、6.親イスラエルとのことです。この思想が民主党のクリントン政権(1992年)以来、途中で一時ブッシュ政権の共和党に変わったが、実態は民主党政治だったとのことです。政治の世界も知らないと、日本の政治や経済が歪められていても、彼らの助言や提案を有難く思っている私がいました。
今回、ここでは政治問題に深入りすることはしませんが、渡辺氏の書籍を読んで、私自身がこの方面のことに、全く無知であったことを知りました。振り返ってみると、日本経済が発展し、自動車や半導体産業などが伸びるとブレーキをかけられていた事例があったことを思い出します。その当時の新聞やTVなどが、どのように報道していたか記憶していませんが、特に考えることもなく漠然と見ていたと思います。現実世界の姿も視野を広げて見聞しないと、盲目的に信じてしまう危険があり、本質がみえません。偶然に渡辺氏の情報に接する機会を得て読んでみたら、常識的(表面的)に思っていた世界政治の現実(裏側)を知りました。蛇足と思いましたが、関心のある方は読んでみてください。
仏教の慈悲の思想とはかけ離れた現実です。人類が平和になるためには、各自の心の成長が欠かせません。ブッダは自身の教えも、盲目的に信じることをしないで、その意味を吟味して納得するように指導しています。政治の世界も他人事でなく、私たちはこの混乱した世界で生活しています。真実を知っておくことは大切なことと思います。
地球温暖化のこと
この本の中で、地球温暖化の問題についても触れています。理科系の技術者である私にとっては関心のある社会問題です。
パトリック・ムーア(1947年生~)の論文が紹介されて、そこではCO2が生物の基本的な食糧の原料であり、その存在量が私たちの生存にも関わってくると気づかされました。
The Positive Impact of Human CO 2 Emissions on the Survival of Life on Earth, Frontier Centre, June 2016。
以下の解説は渡辺氏の本をベースにした要約です。
パトリック・ムーアはグリンピースカナダの共同創設者の一人であり過激な環境運動家として知られています。「人類の二酸化炭素排出が地球の生存に及ぼすポジティブな効果」 と題された論文が2016年6月に発表され 、その主張は根源的なもので、地球に存在している生命体は、大気中のCO2に依存していることをあらためて指摘しています。
植物が太陽光と水とCO2から生命体の「食糧」を作り,我々人類も、動物も、バクテリアもこれなしでは生きることが出来ません。このCO2が一定水準以下になれば、地球は死の星になるとの指摘です。
ムーアによると、最適なCO2濃度は、植物の成長には1000ppm 以上のCO2濃度が最適であり、地球の歴史のほとんどがそうした濃度の環境だったと言っています。現状では破滅的な気候変動はない、そうでありながら、CO2は削減すべきだとの主張にいかなる根拠があるのか、と現在の主流となっているCO2削減論者に異を唱えています。ムーアは現在の大気中の濃度はわずか400ppmに過ぎないとないといっています。削減論者は逆に産業革命以来CO2濃度は増え続けて400ppmになり、異常気象が進んで、氷河は溶け、削減しないと大変なことになる主張しています。ムーアは、人間の生産活動によるCO2の排出がなくなった場合、CO2 が限界レベル(150ppm)にまで下がる可能性がありうる、この水準を( CO2悪玉説信者は)止めるシナリオをもっているのか。そこまで下がってしまえば、植物は餓死し、地球から生命が消えると警告しているのです。
この根拠となる論説が記載されていますので、長くなりますが引用します。
この地球に生物が爆発的な広がりを始めたのは、古生代カンブリア紀である。およそ5億4000万年前から5億1000万年前のことである。この時期に多くの多細胞生物が突如として現れた(カンブリア爆発)。この時期の大気中CO2濃度は7000ppmと推計されている。現在の17倍である。つまり地球生命体にとって、現在の17倍の食糧があったのである。
古生代の終わるおよそ2億4600万年ごろには植物はCO2を食べつくしていた。その結果、大気中の濃度は、現在とほぼ同じ400ppmのまで低下してしまった。これがそのまま続いていれば、生命維持の下限値150ppmにまで下がり、地球は死の星になっていた。
濃度低下の原因は大量の樹木が倒れた後も、分解されなかったからである。樹木はセルロースとリグニン(木質素)を利用して、硬質の幹や枝を形成し、できるだけ太陽に近づこうとする。問題は、倒木後に、それまでに取り込んだCO2( 炭素)が固定化されたままとなり、大気中に循環しなかったことだった。この時代の微生物はまだ固いリグニンを分解 する酵素を獲得していなかった。
「森の中で死んだ樹木は(分解されることなく)重なり合って厚い層を形成した。それが埋もれながら熱と圧力を受けて炭化していった」
幸いなことに、2億4600万年(中生代 三畳紀)ごろから再びCO2濃度が上昇し始めた。およそ2億年前(中生代ジュラ紀)にはCO2濃度は2500ppmにまで回復した。
こうして植物が再び繁茂し、それを食糧とする恐竜の時代に入る。
その後 しばらくCO2濃度は漸増傾向を見せたが、1億4600万年ごろ( 中生代白亜紀) からほぼ一貫して減り続けている。 北極圏の氷層のドリル調査で、1万8000年前には180ppmにまで下がっていたことが確認されている。もう少しで生物生存下限値の150ppmに達し ていた。
二酸化炭素は幸か不幸か水に溶けやすい。海水温度が下がれば気中に放出されるCO2 は減少する。 幸いなことに、地球が温暖化(CO2以外の要因)したことで、海水に溶け込んでいたCO2が大気に放出された。 1万年前には260ppm に、産業革命が始まるころには 280ppmに増加した。 そして産業革命以降は、化石燃料(石炭、石油)の使用でようやく400ppmに戻ったのである。 近未来の大気中のCO2濃度は、人間の生産活動と、 海水の温度に大きく左右される。
パトリック・ムーアは次のように結論付ける。
「次にやってくる氷河期において、海水温度の低下でCO2濃度が180ppm 以下になる恐れがあることだ。 そうなった場合、人間の生産活動によるCO2の排出で補わなくてはならない。 そうすれば、氷河期においても農業生産がかろうじて維持できる程度のCO2が確保できるかもしれない」
(黒字の部分は渡辺氏が英語論文から強調するために引用した文章です)
長々と引用しましたが、渡辺氏の指摘している報告は、我々が日々TVなどで目にしている地球温暖化の議論と真逆であり、目を疑うような事実です。どちらが真実かは詳細に調査検討しないとわかりませんが、知っておく価値はあると思います。知らないとは恐ろしいことです。CO2 削減は地球温暖化による異常気象を回避する根本であると報道され、常識と思って私たちは信じています。皆さんはどのように思いますか。関連する文献なり、意見がありましたらお知らせください。
行動の起点には思惑がある
人は言葉には出さなくても何らかの思惑(意図)を持って行動を起こします。自己中心的な自我の心が良きにつけ、悪しきにつけてその行動に影響を与えます。常識的なことの裏側にも人々の思惑がうごめいています。国家間の争いも、見えない力が見え隠れしています。視野を広げて常識の裏側も覗いてみましょう。