生きるとは何か - No.24-6

人生の意味を問う

2024・6・1発行

日本では戦禍も無く、平和な日々が送れていますが、世界を見ると、長期化したロシアによるウクライナ侵攻は解決の目処もついていません。更に、イスラエルによるガザ地区への爆撃も止む気配がみえません。国際社会が反対を表明し、避難民の援助をしている救援事業すら妨害をするような戦闘も行われています。この間に多くの民衆が負傷や死亡をしています。これら戦禍の下で生活する人々の苦しみや嘆きを思うと、この世に生まれて来た人達の人生は何だったのか考えざるをえません。

過去を振り返ると、多くの不幸な事例はあります。最も過酷な例は、ナチスドイツ軍によるユダヤ人のアウシュビッツ収容所での大虐殺がありました。しかし、このような状況下でも、人生には生きる意味があると問い続けたヴィクトール・フランクルのような人もいます。フランクルはユダヤ人として生まれた時から特異な社会状況に置かれています。ユダヤ人の国イスラエルが執拗にガザ爆撃をするのも歴史を辿ると簡単に手放さないイスラエル人の心情が感じられます。

ユダヤの国イスラエルは、イエスが処刑されてから約40年後、西暦70年頃にローマ軍によって滅ぼされます。以後、ユダヤ人は国を追われた「流浪の民」となり、安住の地を求めてヨーロッパ中に拡散します。7世紀頃からキリスト教が浸透すると「異教徒の避難民」はますます迫害されます。ユダヤ人はどこかの町に流れ着くと、多くの場合、居住区画(ゲットー)を定められ、そこで集まり暮らすことが命じられたとのことです。

一方、古代日本にも渡来人(ユダヤ人とは確定していませんが)が西暦400年から500年頃に、弓月君が自国の120県の人民を率いてやってきたことが、日本書紀に記載されています。高崎に世界記憶遺産登録された「上野三碑」には、奈良時代多胡郡が新設され「羊」という人物を郡司に命ずるという詔を伝えています。ヨーロッパに拡散したユダヤ人と異なり、日本に渡来した人達は、その後、定住し大和朝廷から地域の長として処遇されていることが多胡碑で分かります。多胡碑の銘文と現代語訳を参考資料として添付します。

【銘文】

弁官符上野国片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和同四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左大臣正二
位石上尊右大臣正二位藤原尊

【現代語訳】

朝廷の弁官局から命令があった。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡を作り、に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。
和同四(711)年三月九日甲寅。左中弁・正五位下多治比真人(三宅麻呂)による宣旨である。太政官の二品穂積親王、左大臣・正二位石上(麻呂)尊、右大臣・正二位藤原(不比等)尊

古代遺跡にも名を留める渡来人(田中英道「発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く」(勉誠出版、2019)を知ったことで、日本と言う国を考える転機になりました。このあたりの事は自書「生きるとは もう一人の自分探し」(銀の鈴社、2023)に記載していますので参照してください。人は生まれる時も知らず、この世に生を受け、それぞれの人生を歩んでいます。過酷な人生を経験した人に比べれば、今日、日本に生まれ平穏な日常を過ごす我々は、その生活に感謝すべきと思いました。日本人は2000年以上の歴史を持ち、海外からの侵攻の歴史は、第二次世界大戦による敗戦でアメリカ軍に統治されたことが、日本の歴史の中で初めてのことです。

戦禍の中での生きる意味

ウクライナやガザ地区の明日をも知れない危険な状況にある人々は、自分の人生に意味があるのだろうかと懐疑的になるとでしょう。過酷なナチス収容所を経験したフランクルは人生への意味をどのように捉えたか、この背景を知りたいと思い、NHKこころに時代で放送(2024.4月~9月)されている勝田茅生氏の「ヴィクトール・フランクル」から少し引用します。

先ずは、フランクルの人生観として「人生は砂時計」にたとえています。

砂時計の上の部分には、まだこれからの未来があります。それは、これから起こることです。そこには砂時計の狭い部分をすり抜けて下へ流れ落ちる砂が入っています。砂時計の下の部分には、すでに起きた過去があります。それは狭い部分をすでに通過してしまった砂です。そしてこの狭い部分は現在を示しています。

・(下に落ちた砂粒は)そこで固定されます。それはあたかも砂時計の下部の部分に凝固剤のようなものが入っているかのようです。・・・過去の中で過ぎ去ったものは本当にすべて「保存される」からです。これは「大切に取って置かれる」「長期に渡って貯蔵される」という意味なのです。

これは面白い見方です。現在という時はくびれた狭い部分で、速い速度で一粒ずつ通過している時間と見なせます。私たちの日常は何万何千という中の一つを選びとって、「過去」の部分に落としていているのですと。現在という時間は瞬時に経過してゆく時であることが分かります。そして過去は長期に保存されることを意味しています。私たちは、自分が死ねば、自分のすべてが完全に消滅すると思っています。けれどもフランクルは、私たちの過去はすべて「保存される」と主張しています。これは過酷な体験を生きたフランクル独自の人生観ともいえます。人間としての尊厳を奪われ、物として扱われ死んでいった同胞を思うときに、彼らがこの世に生きて活動した過去はけすことが出来ません。深い絶望の中から出てきた「希望」であり、「癒し」だったのではと勝田氏は述べています。

このフランクルの人生に対する見方を知って、何か人生に意味を感じたような気持ちがしました。日本でも、80年前には戦禍の中での暮らしを強いられて、その上に都市の無差別爆撃で多くの人が亡くなりました。今までは、亡くなられた人達の人生の意味は何なのかと、無念さを思うだけでした。しかし、そこには、消すことの出来ない過去があると知れば、亡き人への救済があると思えます。

日常の中での人生の意味

普通の社会人として人生を歩んでいる私たちは、砂時計の終盤に向けて小さな努力をすることで幸せを残せるのではとの思い、友人(K氏)への手紙をかきました。彼は元会社の同僚ですが、数年前に脊椎間狭窄症で手術をし、リハビリをする途中で、今度は頸椎の狭窄で、殆ど寝たきり状態になり、数分間坐ることも困難な状況であると知った時、自分のことのように人生終盤の苦しみを感じました。この困難な状況を少しでも希望を持って過ごせるように手紙を書きました。

Kさんへ

療養の様子を友人から伝え聞きました。手術後の回復が進まず、厳しい状況にあることを知りました。
そのことを知って、生きることが、如何に苦しみであるか、心が痛みました。
ブッダが生きることは苦であるとの真理を覚りましたが、苦しみからの脱却も教えてくれています。
ここで長々と教えの内容には触れませんが、一つの提案があります。この作業をすることで苦しみから少しは解放されると思います。

その前に、ご存じだとは思いますが、星野富弘氏の身体的な大きな障害を克服している事例を紹介します。彼は1946年群馬県生まれ、群馬大学を卒業し、中学の体育教師としてクラブ活動指導中に、頸椎を損傷し、手足の自由を失っています。絶望の中での入院中、口に筆を加えて文や絵を描き始めます。私は昨年、古くからの坐禅仲間と富弘美術館に見学に行き感動を覚えました。
彼の絵と言葉の一例を示します。絵と文字を口に筆をくわえて書いています。勿論これは奥さんの全面的サポートが有ってのことです。絵に添えられている言葉は示唆に富んでいます。

苦しい時の一歩は、心細いけれど、その一歩のところに、新しい世界が広がっている

私からの提案は、寝ていてもできることです。

Kさんのこれまでの人生の歩みを語り、それを録音して、後で文書としてまとめることです。最近は文書でまとめ、本にしてくれる自費出版専門の出版社もあります。

しかし、奥さんにサポートをお願いしてパソコンに打ち込んでいれば、簡単に書籍化ができます。

語るのは何でもよいと思います。子供時代、学生の頃、大学での活動、会社でのできごと、などなど休み休み、ポツポツと語ってみてください。この作業することで苦しみも薄れ、希望も出てくると思います。

参考に、私が13年前から書き綴っている冊子の(その8)と昨年自費出版した「生きるとはーもう一人の自分探し」を同封します。

勝手な提案ですが、ご検討ください。幸せは努力のなかに有ります。

後藤一敏  2024.5.4

偶然ですが、フランクルの人生の意味を調べて得た考え方と符合するところがあるように感じました。Kさんの過去を記録することで、消すことできない彼の人生を、私たち友人にも「生きた記録」が残せることになります。

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